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聴覚情報処理障害(APD)

APDとは?(概要)

聴覚情報処理障害(APD:Auditory Processing Disorder)とは、耳の聞こえ(聴力)そのものに問題がないのに「音は聞こえるのに言葉が理解できない」状態を指します 。通常、人は耳で拾った音を電気信号に変換し、それが脳に伝わって初めて「聞いて理解する」ことができます。APDの方は、耳から脳への伝達自体は正常で音そのものは届いているのに、その音が何を意味するか脳で処理・認識することがうまくできません。その結果、日常生活のさまざまな場面で「聞こえにくい」「聞き取れない」と感じる症状が現れます。これは難聴とは異なり、耳自体は正常であるにもかかわらず起こる現象です。

 

図:人が音を聞いて理解するまでの仕組み。外耳・中耳・内耳を経て音は電気信号に変換され、最終的に脳の聴覚野で「意味のある音」として認識されます 。「聴覚情報処理障害(APD)」では、この経路のうち脳で音を処理する部分に問題が生じています 。

近年、海外ではAPDを「聞き取り困難症(LiD:Listening difficulties)」とも呼ぶようになってきました。日本でも2018年のNHK番組で取り上げられたことをきっかけに少しずつ認知が進み、「聞き取り困難症/聴覚情報処理障害(LiD/APD)」という名称が使われることもありますいずれも「耳は聞こえるのに、音の情報をうまく理解できない」状態を表す言葉です。

APDの原因・メカニズム

聴覚情報処理障害(APD)の原因は耳ではなく脳にあります。耳の構造(外耳・中耳・内耳)が正常で音を感じ取れるにもかかわらず、脳内の聴覚情報を処理する仕組みに何らかの問題が生じることで発症します 具体的なメカニズムや原因は一つではなく、人によって様々な要因が関与するとされています 。主な原因の例として、次のようなものが挙げられます。

  • 発達による要因: 先天的な脳機能の発達の偏り(発達障害)に伴うケースです。例えばADHD(注意欠陥・多動性障害)やASD(自閉スペクトラム症)などをもつお子さんでは、幼い頃から耳からの情報の理解が苦手な傾向があります。雑音の中で話を聞き取れない、話が長くなると内容を理解できなくなる、といった特徴が見られ、神経発達症の一症状としてAPDが現れることがあります 。大人になって発達障害と同時にAPDと診断される例もありますが、これは元々見過ごされていた症状が後年明らかになったものと考えられます。

  • 認知機能や注意力の問題: 発達障害とまでは言えなくても、注意力の不足や記憶力の弱さなど脳の情報処理の偏りが原因となる場合があります 。人の話を聞き取るには集中力(注意)と聞いた内容を保持する記憶力が必要ですが、どちらかが弱いと「聞き取れない」「すぐに忘れてしまう」といった状況につながります。特に複数人の会話で次々と言葉を処理しなければならない場面や、長い指示を聞く場面で困難が顕著になります。

  • 心理的な要因: 強い不安やストレスもAPD様の症状を引き起こすことがあります 。緊張や不安で頭がいっぱいになると目の前の話に注意を向けづらくなり、注意力の低下によって聞き漏らしが増えます 。一時的なストレスで集中できない状態が続くと「聞こえているのに頭に入らない」という経験をすることがあり、慢性的なストレスはAPDを悪化させる要因にもなり得ます。

  • 脳の損傷や疾患: 事故や病気による脳の一部のダメージで後天的にAPDを生じるケースです。たとえば脳卒中(脳梗塞・脳出血)で聴覚を司る神経経路の片側が損傷を受けると、「音は聞こえるが言葉が理解できない」状態になることがあります 。片側の中枢聴覚経路に障害があると両耳からの情報のバランスが崩れ、特定方向からの音の聞き取りにくさが顕著になります 。両側の経路が損傷した重篤な場合には、人の話し声がまるで外国語のように全く理解できなくなる「語聾(ごろう)」という症状が現れることも報告されています 。

以上のように、APDの原因は発達的なもの、認知的なもの、心理的なもの、器質的なものと多岐にわたります 。人によってはこれらが複合的に絡み合っている場合もあり、明確に原因を特定できないことも少なくありません。しかし共通して言えるのは、いずれの原因でも耳の構造自体は正常であるため、一見すると周囲からは問題に気付きにくいということです。「本人にしか分からない聞き取りづらさ」があるため、適切な理解とサポートが重要になります。

APDの症状・日常生活での影響

APDの症状は一言でいうと「聞こえているのに聞き取れない」ことです。具体的には次のような困難が日常生活で現れます。

  • 何度も聞き返してしまう・聞き間違いが多い: 会話中に相手の言葉がうまく理解できず、「え?」「もう一度お願いします」と繰り返し尋ねたり、言葉を取り違えて返事をしてしまうことが頻繁にあります 。たとえば「今晩はカレーだよ」と言われて「え?寒いの?」と聞き返してしまう、といった具合です。

  • 雑音があると特に聞こえにくい: 周囲がザワザワしている場所(例:教室内のざわめき、飲食店の雑踏、テレビの音がついたリビングなど)では、必要な声と不要な音を選び分けることが困難です 。普通であれば人は無意識に相手の声だけに集中できますが、APDのある人は周囲の雑音も同時に耳に入ってしまい、話し手の声が紛れてしまいます。結果として「静かな場所なら問題ないのに、騒がしいと何を話しているのか分からない」という状況になります。

  • 口頭の指示が理解しづらい・すぐ忘れる: 耳だけで聞いた情報を脳内に留めておくことが苦手なため、特に長い説明や複数段階の指示を一度に言われると理解しきれず抜け落ちてしまいます 。例えば職場で上司から口頭で「○○を△△して、その後□□も処理しておいて」と言われても、最初の○○しか記憶に残らず後半を聞き逃してしまうことがあります。また聞いた内容をすぐ忘れてしまい、「さっき言われたことを思い出せない」となることもあります 。

  • 早口や小さな声が聞き取れない: 相手の話すスピードが速かったり声が小さかったりすると、音としては微かに聞こえても言葉の輪郭を捉えきれず意味が取れません 。電話越しの会話やマスク越しのくぐもった声なども苦手で、「ゆっくりはっきり話してもらえないと理解できない」と感じます。

  • 長時間の会話についていけない: 会議や授業など話が長く続く場面では集中力が持続しにくく、途中から内容が頭に入らなくなります 。特に視覚的な手がかり(資料やプレゼン映像など)がない口頭説明のみの場合、最初は頑張って聞いていても次第に処理が追いつかず「聞いているふり」の状態になってしまうことがあります。

  • 視覚情報に頼りがちになる: 上記のように耳だけで理解することが難しいため、自然とメモや字幕、ジェスチャーなど視覚情報で補おうとします 。たとえば対面の会話では相手の口の動きを読む、学校の授業では黒板に板書された文字を見て内容を理解するといった具合です。裏を返せば、視覚の助けがない電話やリモート会議(音声のみ)は非常に負担が大きくなります。

こうした症状は、一見すると加齢による難聴注意不足と間違われやすい特徴があります。しかしAPDの場合、聴力検査では正常である点が難聴とは異なります。周囲からは「聞こえているのに何故?」と理解されにくく、本人も自分の状態に気付かないまま「自分の努力不足だ」「頭の回転が遅いのでは」と悩んでしまう**ケースも少なくありません。

日常生活への影響も大きく、コミュニケーションに支障をきたすことでストレスや劣等感を抱えがちです。例えば:

  • 学校や職場で誤解される: 授業中に先生の指示を聞き漏らして叱られたり、会議で質問に的外れな回答をしてしまい周囲に驚かれたりと、「ちゃんと話を聞いていない人」と誤解されることがあります。
  • 対人関係で孤立感: 複数人の雑談についていけず発言できないために、輪の中で一人取り残されたように感じたり、聞き漏らしを恐れて人付き合いを避けてしまったりすることもあります。
  • 自己評価の低下: 「自分だけがうまく聞き取れない」という状況が続くと、本人は強い劣等感や無力感を感じてしまいます。「努力しても改善しない」ことから抑うつ的になってしまうケースも報告されています 。

このようにAPDは周囲の理解が得られにくい障害でありながら、本人にとっては日々の生活で実感する困難が多いのが特徴です。逆に言えば、正しく理解し適切な対応を周囲が取ることで、これらの困難は大きく軽減できる可能性があります。次章では、その診断方法と対処法について説明します。

診断方法(どのような検査があるか)

APDの診断は、まず耳鼻咽喉科などで通常の聴力検査を行い聴力が正常であることを確認した上で、専門的な聞き取り検査を実施するという二段階で行われます。明確な診断基準については近年整備が進み、現在はおおむね次の条件を満たす場合にAPDと診断する形が提案されています。

  • 純音聴力検査が正常範囲(一般的な聴力検査で異常なし)であること
  • 語音明瞭度(言葉の聞き取り検査)が良好であること(静かな環境での単語の聞き取り率が85%以上)
  • 日常生活で聞き取り困難の自覚症状があること(聞こえの問診・質問紙の結果が基準を満たす)

つまり「耳は正常だが聞き取りにくい」という状態を客観的に確認することが診断のポイントです 。具体的な検査としては、以下のようなものが行われます。

  • 問診・質問紙による評価: 本人や家族への聞き取りやチェックリスト(質問紙)により、どんな場面でどの程度「聞こえにくさ」があるかを評価します。有名なものに「フィッシャーの聴覚処理チェックリスト」や日本語版の質問紙(小渕式質問紙)などがあり、学校や病院でのスクリーニングに用いられています。

  • 聴力検査(オージオグラム): ヘッドホンから流れる純音(ピーという音)をどこまで小さい音で聞き取れるかを調べます。APDの方はこの検査結果は正常範囲(一般に25dB未満)となることがほとんどです 。まず難聴がないことを確認し、耳の問題ではないと判断するための重要なステップです。

  • 語音聴力検査(スピーチテスト): 日常の単語や数字をどれくらい正確に聞き取れるかを調べます。静かな状態では問題なく聞き取れる場合、次に雑音下での語音聴力を測定することもあります。後述の通り、APDでは雑音の混じった環境でスコアが低下しやすいため、雑音付きの音声テストで特徴が現れることがあります 。

  • 特殊な聞き取り検査: 専門施設では、より詳しく中枢での処理能力を測るための検査が行われます。例として**「両耳分離聴検査」があります 。これは左右それぞれの耳に違う単語を同時に流し、両方正確に繰り返せるかを見る検査です。脳の音情報処理に偏りや障害があると、障害側の耳に入った言葉だけ聞き取れないという結果が出ます。他にも「ディクテーション検査」(文章を聞いて書き取る)、「ギャップ検出検査」(短い無音の間隔を聞き取る)、「定位検査」(音の方向や距離の認知を見る)など、細かな聴覚処理能力を評価する検査があります。これらにより「どのような聞き取り能力が低下しているか」を分析し、対策に役立てます。

現在、日本全国でAPDの専門検査ができる医療機関はまだ限られています)。まずは耳鼻科等で聴力検査を受け、必要に応じて大学病院など専門外来を紹介してもらうことになるでしょう。診断がつけば、本人も周囲も「なぜ聞き取れないのか」を理解できるようになり、サポートの準備がしやすくなります。「聞こえにくい」と感じたら遠慮せず専門家に相談することが大切です 。

治療・対策(補聴器、環境調整、リハビリ、トレーニング)

残念ながら現時点でAPDそのものを根本的に治す特効薬や手術はありません 。しかし、工夫次第で「聞き取りにくさ」を軽減したり補ったりする対策がいくつもあります。以下に、日常生活でできる主な対処法を紹介します。

  • 環境を調整する: もっとも基本的で効果的なのは、周囲の雑音を減らす工夫です。APDのある人は雑音下で症状が悪化しやすいため、なるべく静かな環境で話を聞けるように調整します 。例えば家では椅子やテーブルの足にカバーを付けて物音を小さくする、話すときはテレビやラジオを消す、といった配慮ができます。学校や職場では会議中に周囲に静かにしてもらったり、雑音の少ない場所に席を移すなどの対応が考えられます。また、話しかける側も協力が必要です。「重要な話は静かな場所でする」「ゆっくりはっきりと話す」「一度に一つのことを話す」など周囲が気をつけるだけでも、当事者の聞き取りやすさは大きく向上します。

  • 補聴器や補助機器を活用する: 耳に異常がなくても、雑音を低減する補聴器を装用すると聞き取りやすさが改善する場合があります 。近年のデジタル補聴器には環境音を抑えて人の声を強調する機能があり、APDの方が試用して効果を感じるケースもあります。また教室や会議で役立つワイヤレス集音システム(話者のマイク音声を直接イヤホンに届ける装置)や、スマートフォンの音声認識アプリ(話し言葉をリアルタイムで文字起こしする)も有用です。聞き取れなかった部分を文字で確認できたり、特定の人の声をピンポイントで拾えたりするため、負担を大きく減らせます。

  • 聴覚トレーニングを行う: 聞き取りの力は訓練によって向上する可能性があります 。おすすめは人との会話に積極的に挑戦することです。APDの方の中には聞き取りづらさを周囲に気付かれたくないあまり会話を避けてしまう人もいますが、避けていては上達しません 。家族との団らんや友人とのおしゃべりの機会を意識的に増やし、聞き取れなかったら遠慮せず聞き返すようにしましょう。その他、テレビやラジオの音声を集中して聞き取る練習や、聞いた内容をメモする習慣も効果的です。また語彙を増やすことで曖昧に聞こえた言葉を文脈から推測しやすくなるため、読書などで言葉の知識を広げておくことも一助となります。

  • 周囲の理解とサポートを得る: APDへの最大の対策は、本人と周囲が正しく理解し協力し合うことです。家族や学校・職場の同僚に自分の聞こえの特性を説明し、サポートをお願いしましょう。「雑音があると聞こえにくい」「ゆっくり話してもらえると助かる」と具体的に伝えることで、周りも配慮しやすくなります。また、日本ではAPD当事者が自分の聞こえの困難さを周囲に知らせるための「コアラのマーク」があります。コアラのイラストが描かれたバッジやカードを身につけておくと、初対面の人にも「聞こえるけれど聞き取りづらい状態である」ことをさりげなく伝えられます。このようなツールも活用しながら、一人で抱え込まない環境作りをしていくことが大切です。

  • 心理的サポートを受ける: ストレスや不安が強いとAPDの症状が悪化する場合があります。もし聞き取り困難が原因で心の負担が大きくなっていると感じたら、カウンセリングなどメンタル面のケアも検討しましょう。心の安定は集中力を高め、結果的に聞き取り能力の向上にもつながります。また、併存しやすいADHDなど発達障害がある場合にはその治療(薬物療法や療育)を行うことで注意力が改善し、APDの症状緩和が期待できることもあります。

まとめ

聴覚情報処理障害(APD)は、一見すると分かりづらい障害ですが、本人にとっては日常生活で確かな支障をきたすものです。「聞こえにくいけれど聴力検査では異常なし」という不思議な状態のため、周囲から誤解されたり放置されたりしがちです。しかしそれは決して本人の怠慢や甘えではなく、脳の情報処理の特性によるものだと理解することが大切です。

まずは本人が自分の症状を正しく知ることが第一歩です。もし「音は聞こえるのに理解できない」「周囲の会話についていけない」といった悩みがあれば、遠慮なく専門医に相談しましょう。適切な検査を受ければAPDかどうか判明し、対処の方針も立てやすくなります 。診断がつかないままでは周囲の支援も得にくいため、必要ならセカンドオピニオンも含め積極的に動いてみてください 。

次に、周囲のサポートが不可欠です。家族や友人、学校や職場の人々がAPDを理解し、環境調整や話し方の工夫に協力してくれるだけで、当事者の感じる負担は大きく軽減されます 。この記事で述べたような配慮(静かな場所で話す、ゆっくり話す、必要に応じて繰り返す等)は、どれも特別難しいことではありません。「聞こえにくい人が身近にいる」という意識をみんなが持つことで、コミュニケーションの取りやすい優しい社会につながっていくでしょう。

最後に、APDの当事者の方へお伝えしたいのは、決して一人で悩まないでほしいということです。現在の医学では完全に治す方法はありませんが、紹介したように様々な補助手段や訓練法があります。そして何より、あなたの周りにはきっとあなたの「聞こえにくさ」を理解しようとしてくれる人がいるはずです。遠慮や気兼ねは要りません。困っていることは具体的に伝え、サポートを借りましょう。適切なサポートを受けることで、APDともうまく付き合いながら日常生活を快適に過ごすことが十分に可能です 。

聴覚情報処理障害という言葉自体はまだ一般には馴染みが薄いかもしれません。しかし本記事を通じてその概要や対処法についてご理解いただけたなら幸いです。正しい理解と周囲の支えがあれば、APDのある人もない人も、お互いに安心してコミュニケーションを取ることができるでしょう。困ったときは専門家の力も借りながら、ぜひ前向きに対策に取り組んでみてください。あなたの「聞こえ」をサポートする方法は必ず見つかります。一人で抱え込まず、周りと協力してより良い聞こえの環境を築いていきましょう。

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