嗅覚障害
嗅覚は私たちの生活の中で非常に重要な役割を果たしています。食事の風味や周囲の環境、危険を察知する手助けとなるなど、多くの情報を私たちに提供してくれます。しかし、これらの感覚が一時的あるいは持続的に減少すると、生活の質に影響を及ぼす可能性があります。この状態を「嗅覚障害」と言います。
嗅覚の仕組みについて
まずはじめに、ヒトはどのようににおいを感じているのでしょうか?
におい物質が鼻腔内に入ると、におい物質は鼻腔最上部の嗅粘膜と呼ばれる特別な粘膜に溶け込み感知されます。そこから匂い物質の情報が電気信号として嗅神経を介して嗅球に伝わり、匂いを知覚します。さらに大脳にこの情報が伝わると、匂いの識別が行われます。
嗅上皮の粘膜層に広がっている嗅毛には、においをキャッチする嗅覚受容体(においセンサー)があります。一つのにおい分子に対していくつかの嗅覚受容体が、鍵と鍵穴が合うように反応しにおいを検知します。また、においの濃度が変わると反応する嗅覚受容体の組み合わせが変わり、違うにおいとして感じられます。
嗅覚障害の発生パターン
- 気導性嗅覚障害
におい物質が鼻の奥の嗅細胞に届かずに起こる嗅覚障害のことです。慢性副鼻腔炎、特にポリープ(鼻茸)を伴う例に多く、その他アレルギー性鼻炎が原因となります。嗅覚障害の多くがこのタイプですが、適切な治療により、障害となっている原因がなくなれば、基本的に嗅覚も回復させることが可能です。
代表疾患:アレルギー性鼻炎、鼻中隔湾曲症、急性/慢性鼻炎、急性/慢性慢性副鼻腔炎
- 嗅神経性嗅覚障害
かぜの後の嗅覚障害はここに分類されます。ウイルスにより嗅細胞が傷害され発生するとされています。中高年の女性に発生頻度が高いのですが、その理由は不明です。薬物や有毒ガスでも嗅神経が傷害されて嗅覚障害を起こします。気導性嗅覚障害に比べると、より高度な嗅覚障害で、適切な治療により嗅覚が戻る場合もありますが、神経のダメージによっては障害が残ってしまう場合もあります。
代表疾患:感冒後嗅覚障害(ウイルス感染)、慢性副鼻腔炎、薬剤性、中毒性
- 中枢性嗅覚障害
嗅球から大脳にかけての嗅覚伝導路の傷害によって発生します。原因として多いのは頭部外傷ですが、アルツハイマーやパーキンソン病などでも発生します。難治であることが多いです。
代表疾患:頭部外傷、脳腫瘍、神経変性疾患(アルツハイマー病、パーキンソン病)、先天性嗅覚障害(Kallmann症候群など)、加齢性変化
嗅覚障害を起こす代表的疾患
COVID19による嗅覚障害について
COVID-19が感染するためには、ACE2受容体とTMPRSS2、furinの存在が重要と分かっています。嗅粘膜に存在する複数の細胞でこれらの受容体を発現していることから、COVID-19は嗅粘膜に感染することが考えられます。感染したCOVID-19ウイルスは、支持細胞とボウマン腺細胞に感染して炎症を惹起し、粘膜の浮腫と分泌物の増加を生じさせる。COVID-19における嗅覚障害の多くが短期間で回復するのは、MRIを用いた研究で嗅裂の一過性の浮腫を認めることは、ウイルスが嗅神経に直接ダメージを与えるのではなく、支持細胞やボウマン腺細胞の炎症によって嗅覚障害を引き起こすという考えられています。
COVID-19による嗅覚障害は、1ヶ月で9割が回復すると報告されています。
一方、後遺症として長期間(1か月以上)障害が残存する症例では、ウイルスが髄液、嗅球、脳組織で検出された報告があり、また異嗅症が出現することを考えても、中枢性嗅覚障害が生じている可能性があります。
嗅覚と認知症について
認知症の方は、認知機能が低下する前から嗅覚が低下するとされております。ただし、嗅覚障害を予防すれば認知症が発症しにくくなるかというとそうではありません。認知症のあるなしに関わらず、加齢により嗅覚障害は発生し、60歳以上で25%、80歳以上では50%にも及びます。そして、加齢性の嗅覚障害の治療はありません。日頃からニオイを意識した生活を送ることが予防になる可能性があります。
嗅覚障害の検査
問診
発症時期、あるいは気づいた時期、思い当たる原因、発症様式、既往歴、薬物服用歴、異嗅症の有無、味覚障害の有無、喫煙歴、鼻症状の有無などについて問診します。感冒後嗅覚障害、外傷性嗅覚障害、薬物性嗅覚障害は問診が原因特定のための唯一の手段と言っても過言ではありません。
視診
内視鏡による鼻内の観察が不可欠です。嗅粘膜は見えにくい奥に存在しています。鼻茸(ポリープ)や副鼻腔炎の有無も観察します。
画像検査
単純レントゲン検査は嗅覚障害の診断には不十分ですので基本的には行いません。CTは嗅裂までの気道の状態を観察できるために有用で、撮影することがありますが多くは内視鏡検査である程度の判断ができますので必ず行うわけではありません。
中枢性が疑われる場合はMRIが必要になりますので、当院では施行できません。
嗅覚検査
静脈性嗅覚検査(アリナミンテスト)
アリナミン注射液を注射して、ニンニクやタマネギのようなにおいが感知されるまでの時間を測定する検査です。正常値はわかるまでの時間が8~9秒、持続時間は1~2分です。
血液中に投与されたアリナミン(プロスチルアミン)が肺から呼気中に拡散されます。気道を通って鼻腔に運ばれたプロスチルアミンが嗅粘膜に到達するとにんにく臭を感じます。
嗅覚障害の治療効果を予測するために有効な検査で、基準嗅覚検査でにおいが分からない場合も、この検査でにおいを感知できれば、嗅覚が回復する可能性が高いと考えられます。
基準嗅力検査(T&Tオルファクトメーター)
5種類の基準臭を直接嗅いでもらいます。薄いにおいから濃いにおいに徐々に変えていき、最初に分かった時点の数値を算出します。
当院では行うことはできません。(クリニックレベルで施行できる施設はほとんどありません)
嗅覚障害の治療
①薬物治療
ステロイド点鼻薬、ビタミンB12製剤(メチコバール)、亜鉛製剤、漢方薬(当帰芍薬散など)が投与されます。残念ながらこれを使えば治るといった薬剤はなく、複数のものを病態に合わせて組み合わせることになります。
ステロイド点鼻薬は、特に感染性の嗅覚障害の初期には有効で、鼻の粘膜の浮腫を軽減したり、過剰な免疫応答を抑える作用があるためです。一方で、急性期の嗅覚障害への効果は認められるものの、最終的にはプラセボ(偽薬)と有意差はないというデータも出ていますので長期の使用はあまりお勧めできません。
当帰芍薬散に関しては、動物実験で嗅神経繊維が徐々に伸びることがわかっており、神経成長因子の働きを高め、神経の再生を促すと考えられています。数ヶ月〜半年程度の内服は検討すべきと思われます。
治療期間も数か月~数年程度長期に及ぶことがあり、状態によっては障害が残る場合もあります。
②手術治療
手術して改善が期待される場合に施行されます。その多くは慢性副鼻腔炎でポリープがあったり、鼻中隔湾曲症やアレルギー性鼻炎による嗅覚障害のケースです。
③嗅覚刺激療法(嗅覚リハビリテーション)
嗅覚リハビリテーションは、最も重要な治療方法です。上述した様な投薬による治療の有効性がそこまで高くないことと、嗅神経は再生する期待のある神経であるため自然治癒力を高める治療法が有効です。
ドイツの耳鼻咽喉科医(Hummel)が開発した異なる種類のにおいを嗅ぐ治療法です。原法では、レモン、バラ、ユーカリ、クローブの4つのにおいを朝、晩に15秒、嗅ぐトレーニングを3ヶ月以上続ける治療法です。トレーニングを行わなかった患者さんたちと比べて改善がみられるかの臨床試験を行った結果が発表されました。
ポイントしては、なじみのある、特色ある異なる香りを意識して嗅ぐことが大切です。現状では、精度の高いにおいを嗅ぐことが重要であることから、純度の高い精油(アロマオイル)を用いるのがよいと思われますが、手元にない場合、まずは身近にあるなじみのある良いにおいで代用してもよいと思います。コーヒー、オレンジ、味噌汁、カレー、ニンニクなど日常の食事に関するものや、季節の花(金木犀など)や草(大葉など)などや、湿布などは比較的始めやすいと思います。
一方で、不快な臭い(腐敗臭など)は異臭症の原因となりうるので避けた方が良いでしょう。
また、ニールメッド社から嗅覚トレーニングキットが開発されましたので、こちらの使用も手間が省けてお勧めです。(ネットで購入できますし、当院にも置いてあります)
嗅覚系は末梢,中枢いずれにおいても神経の新陳代謝がある非常に特殊な感覚系であるとされていて、新しいにおいの細胞は、生まれてから1,2週間以内ににおいの刺激を得られないと、細胞死がおこってしまうこともわかっています。
絶えず適切な感覚を与え続けることが回復への道なのです。
いずれの種類の嗅覚障害においても推奨されますし、唯一自宅でできる治療法です。